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東京商工学校神田区淡路町校舎

 埼玉工業大学のルーツは、明治36年(1903)、現在の台東区に産声を上げた東京商工学校ですが、校舎は中学郁文館(現・私立郁文館高校)の分館を借り受けたものでした。その後の教育事業の順調な発展で、校舎は手狭になり、借用校舎の増築・移転を重ねましたが、ついに自前の校舎を、学校街であった神田区淡路町に建てたのです。時代の最先端を行く、鉄筋4階建て・総建坪730坪(2,400㎡余)の校舎でした。大正11年(1922)落成のこの校舎は、近くのニコライ堂ともに「巍然」と聳えたといいます。
 商業部・土木部・電気部・建築部・機械部・工業化学部の構成で、各々予科・本科合わせて2年半の修業年限でありました。さらに、半か年の「電気高等科」と「商業高等科」を置き、その総定員7,000名。午前・午後・夜間の3部制で授業を展開しておりました。
 この堅牢な校舎は、翌大正12年(1923)9月の関東大震災でもビクともしませんでした。それだけでなく、この大震災下において神田区淡路町一帯の住民の避難場所として、あるいは仮住まいとして、大きな役割を果たしました。地元町内会の人たちは、それに対する「感謝措ク能ハザル」気持ちを「記念碑」として表して、後世に遺してくださいました。
 巡りめぐって、この震災「記念碑」は、平成24年(2012)4月、千代田区(教育委員会)によって、文化財に指定されました。なおこの校舎は、戦後明治大学に売却され、工学部聖橋校舎として昭和40年(1965)まで使用され、その使命を終えました。

 

震災記念碑1

東京都千代田区に建てられている震災記念碑
(平成24年に千代田区文化財に指定)



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