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聖橋中学校・聖橋高等学校

 神田区淡路町校舎は、現在の駿河台3丁目2番地にあったもので、校舎の写真が中々見つからなかったのですが、卒業生・R氏(現在84歳)の卒業記念アルバム(昭和24年3月)に収められていました。(写真1)この校舎の写真には「聖橋高等学校」と「聖橋中学校」の2枚の門標が懸けられています。

 この2枚の門標の意味ですが、聖橋高等工学校は、昭和19年にそれまでの「各種学校」から正規の「中等学校」としての聖橋工業学校に昇格し、その後、戦後の教育改革が昭和22年4月に施行されることになったため、「聖橋中学校」を併設し、その新制中学校(3年制・義務)が全国で全学年一斉にスタートしました。

 この併設の「聖橋中学校」は、「聖橋工業学校」の1~3年生と年齢的に重なりますので、1~2年に在学していた生徒は、「聖橋中学校」(義務制)の2 ~3年生として、新1年生と共に在学する事になりました。

 さらに戦後の教育改革に伴い、翌昭和23年には「聖橋工業学校」が廃止されて、新制「聖橋高等学校」(普通科・機械科)が開設されました。この「聖橋高等学校」への編入は、「聖橋工業学校」が戦後5年制(選抜試験)になっていたので、在学していた生徒は希望によって、試験を経て看板を変えた「聖橋高等学校」に編入されました。中等学校3年修了者を新制高校の1年に、4年修了者を2年に、5年卒業者を3年に編入して、昭和23年4月に新制「高等学校」が全国で1~3年の全学年一斉にスタートしました。このような措置によって、R氏のように新制高校3年に編入された生徒はその翌年昭和24年3月に新制高校を卒業することになりました。

 この「聖橋高等学校」と「聖橋中学校」の2枚の門標が懸けられた校舎は残念ながら昭和26年に新制明治大学工学部に売却され、荒川区尾久町(JR田端駅の近く)に土地を購入して新校舎を建てました(写真2)。ここでも2枚の門標が懸けられていますが、写真1の門標とは「左・右」が逆になっています。この両校は、昭和46年3月に閉校されました。

 

神田区淡路町校舎

写真1:神田区淡路町校舎

 

荒川区尾久町校舎

写真2:荒川区尾久町校舎



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